あい らぶ のーな!= 承 =
2006年 03月 27日
ノーナに出会い、うっすらと曲を聴き始めたころだと思う、、、そのノーナが
我が母校で凱旋ライブをすることを知った。学園祭がいろいろな理由で開催
できず、イベントで盛り上がるはずの秋を寂しく思うそんな時期だった気がする。
”凱旋”?!
そうノーナの3人は早稲田出身、先輩だった。未知のノーナライブを
我が母校で体験すべく、私はまもなくそのチケットを手に入れた。
ライブ会場はなんと15号館。自分が受験で試験を受けた場所だ。
そして15号館にライブできる場所なんてあったっけ?って思ってた私が
導かれたのはいつもの大教室。いつも眠い目をこすりながら、一限の
シェイクスピア「ヴェニスの商人」や「緋文字」の授業を受けているところだ。
ここ?!
時折登場する授業用スライドに備えて、いつもは控えめな真っ黒な
カーテンもその日は”ライブ”感を出すために堂々と引かれていた。
机と席は固定してあって動かせないから私たちは机と机の間に立つことに
なる。教授と学生の距離を隔てる段差は音源の機材が並べられている。
本当にここでノーナがライブをするのだろうか。。。
その疑問を吹き飛ばすように、勢いよく、いや普通に定位置につくメンバー。
そしてまるでここが一般のライブ会場であるかのように歌が始まり、
ノーナワールドが展開される。バンドと客席の境界線がどうなっていたか記憶が
定かではないが、私がはっきり覚えているのは、ごーたくん(Vol)、前列の机に
上って歌ってた!!もはやそこは教室ではなくてライブハウスだった。
そしてそこにはとても楽しくてわくわくして、どきどきして、まるで魔法にかかった
ように自分が、ライブにいる一人ひとりが、きらきらと輝けるようなそんな時間が
流れていた。
名曲♪二十歳の夏を歌っている時、ごーたくんがこんなことを言った。
「俺も二十歳の夏をここ(早稲田)で過ごしたぞー!」
もうすぐ二十歳を迎える私にとって、(もしかしたらちょうど二十歳だった
かなあ)何より印象に残る言葉だった。
ノーナに対して、大学に対して、今ある青春に対して、そして夢や音楽に対して
いろいろな思いが交錯する瞬間だった。
私のノーナに対する思いはその時から変わらない。
ノーナ最高!
我が母校で凱旋ライブをすることを知った。学園祭がいろいろな理由で開催
できず、イベントで盛り上がるはずの秋を寂しく思うそんな時期だった気がする。
”凱旋”?!
そうノーナの3人は早稲田出身、先輩だった。未知のノーナライブを
我が母校で体験すべく、私はまもなくそのチケットを手に入れた。
ライブ会場はなんと15号館。自分が受験で試験を受けた場所だ。
そして15号館にライブできる場所なんてあったっけ?って思ってた私が
導かれたのはいつもの大教室。いつも眠い目をこすりながら、一限の
シェイクスピア「ヴェニスの商人」や「緋文字」の授業を受けているところだ。
ここ?!
時折登場する授業用スライドに備えて、いつもは控えめな真っ黒な
カーテンもその日は”ライブ”感を出すために堂々と引かれていた。
机と席は固定してあって動かせないから私たちは机と机の間に立つことに
なる。教授と学生の距離を隔てる段差は音源の機材が並べられている。
本当にここでノーナがライブをするのだろうか。。。
その疑問を吹き飛ばすように、勢いよく、いや普通に定位置につくメンバー。
そしてまるでここが一般のライブ会場であるかのように歌が始まり、
ノーナワールドが展開される。バンドと客席の境界線がどうなっていたか記憶が
定かではないが、私がはっきり覚えているのは、ごーたくん(Vol)、前列の机に
上って歌ってた!!もはやそこは教室ではなくてライブハウスだった。
そしてそこにはとても楽しくてわくわくして、どきどきして、まるで魔法にかかった
ように自分が、ライブにいる一人ひとりが、きらきらと輝けるようなそんな時間が
流れていた。
名曲♪二十歳の夏を歌っている時、ごーたくんがこんなことを言った。
「俺も二十歳の夏をここ(早稲田)で過ごしたぞー!」
もうすぐ二十歳を迎える私にとって、(もしかしたらちょうど二十歳だった
かなあ)何より印象に残る言葉だった。
ノーナに対して、大学に対して、今ある青春に対して、そして夢や音楽に対して
いろいろな思いが交錯する瞬間だった。
私のノーナに対する思いはその時から変わらない。
ノーナ最高!
by gonta-maus
| 2006-03-27 00:14
| ノーナ in my Life